ベトナムのニュースから第8回 貧しさに共感する心

ベトナムのニュースから第8回~貧しさに共感する心。

高い学費を払って我が子をインターナショナルスクールに入れる裕福な家庭が出てきていることを前回 お伝えした。しかし、日々の食べ物に困っている人が多いのもまたベトナム社会の現状だ。今回はそんな人々に関するニュースを見てみようと思う。

[1. 貧しさにスポットをあてる傾向]

<今回の写真は「働く人」をテーマにしています>

<今回の写真は「働く人」をテーマにしています>

ベトナムの大衆紙は、貧しい人にスポットをあてた記事をかなりの頻度で掲載する。一個人が一面で取り上げられることもある。2010年に入ってから目についたのは、ゴミ収集業に携わるゴックフーンさんの話だ。
<ゴックフーンさんの記事> 
<ゴックフーンさんの記事>

<ゴックフーンさんの記事>

「彼女のような悲しい人生はそんなにないだろう。彼女は47歳。ホーチミン市で30年近く清掃の仕事をしている。子供を食べさせ学校に行かせるために夫婦で助け合いながら清掃の仕事をしていたが、夫が病に倒れて入院した。夫と子供を養うために一人で清掃をしていた2009年の大晦日の夜、車がぶつかってきて両足を骨折した。病院に運び込まれた時、医療保険の有効期限がちょうどその日で切れていた。いま彼女の足は金属で固定されているが、切断の危機にさらされている。『足がなくなったらどうやって子供を育てていけばいいのでしょう・・・。』2人の子供、病気の夫。小柄で40kgもない彼女に、家計が重くのしかかっている。」
「悲しい人生」というタイトルのゴックフーンさんの記事が掲載された翌日には、読者から68,000,000ドン(約34万円)の寄付が寄せられた。貧窮した人の話が記事になり、それを読んだ人々が新聞社に寄付を申し出るという形は、ベトナムでは特別なことではない。貧しさを共有し、助け合う風潮がベトナムにはある。

[2. 貧しさにつけいる組織]

一方で、貧しい人たちを利用する悪徳業者も存在している。貧しい人に物乞いなどをさせ、その収入をピンハネするというものだ。子供、障害者、老人たちがだしに使われる。ここでは、貧しい老人たちにつけこむ業者について取り上げよう。

「70~80歳のお年寄りが路上に座って物乞いをしている。心が痛むこのような光景を見て、すげ笠にお金を入れたことがある人も多いだろう。その近くの暗い角でバイクに座った男、Cがそのお年寄りを監視し、頭の中で今日の収入を計算しているという事実は、誰も予想だにしないことだ。深夜になるとCはお年寄りをバイクに乗せて宿舎につれて帰る。老人たちは毎日の食事を提供してもらうために、稼いだお金をCに上納しなければいけない。Cは元締めとして一人で老人たちを束ねている。

別の組織では、別の元締めがお年寄りに宝くじを売らせている。60~80歳のお年寄り30人と、車いすを押す役の人々が、狭い部屋で押し合いへしあいしながら暮らしている。この組織のしくみは、健康な人間が老人の乗った車いすを押し、宝くじを売りに行く。そして車いすを押す人間と元締めの間で売り上げを山分けするというものだ。

ある72歳の女性はこう言う。『夕方5時から深夜1、2時まで働きます。一日の利益が100,000ドン(約500円)だとしたら、元締めに30,000ドン(約150円)とられます。その後、車いすを押す人にもお金を支払ったりして、手元に残るには20,000~30,000ドン(約100~150円)。』

田舎に子供も孫もいるというある老人はこう言った。『子供たちの生活は苦しすぎて、私だけ何もせず世話になっているわけにいかないと思いました。だから、宝くじを売ればいくらかのお金をもらえるという話を聞いて、ホーチミン市につれてきてもらったんです。でももう体が辛いので辞めようと思ったのですが、子供たちの家は台風でつぶれてしまったので、自分が生きるためにも涙を呑んでこの仕事を続けるしかありません。』

売り物の宝くじをひったくられるということが毎日のように起こるという。売り上げは山分けするのに、とられた分の宝くじの代金に関しては老人たちが全部弁償しなくてはいけない。何度もそんな目にあって、元締めに対する借金ばかりが膨らんでいく。実際、亡くなるまで借金が残っていた人もいたそうだ。

『70、80代の私たちは、もう先は長くないでしょう。人生最後のお仕事です。生活のためには仕方ないですね。・・・』老人はそう言って声を詰まらせた。
ある組織の元締めはこう言う。『ここにいる人たちは何の役にも立たない、捨てられた人たちだ。それを集めて住む場所を借りて宝くじを仕入れてやっている。仕入れる金は俺が銀行から借りてるんだ。一日2食の食事とか宝くじを買う資金とか、俺だって一生懸命世話してやっている。なのに世間は俺を怠け者だ、老人につけいってなどと言う。』

ホーチミン市だけでもこのような組織は何十と存在する。元締めは主に30~40歳代だ。田舎に行きめぼしい老人に『いくらかの収入が得られて、子や孫にも仕送りできる』などと吹き込み、都市部につれてくる。」
この記事に添えられた写真には、やせ細った老婆が道端で小さくしゃがみ込んで物乞いをしている姿や、白いご飯とヌックマム(ベトナム魚醤)だけの昼ご飯を老人たちが囲んで食べている姿が写っていた。一連のこの報道に対して読者から寄せられた何十もの意見はほぼ共通した内容で、「心が痛む」、「本来、子供や孫たちに囲まれて幸せに暮らすべき年齢なのに・・・」、「政府はなにをしているのか?」というものだった。

[3. 過酷な運命を乗り越えろ!]

悲しい話ばかりではない。貧しさを自らの努力で脱した、または脱しようとしている人々の話を特集する記事もある。サイゴンティェップティ紙の金曜版に載る「運命を乗り越えろ(Vuot len so phan)」というシリーズ記事の中から一つご紹介しようと思う。
<チャンさんの記事のタイトルは「貧しい地域の小さなスター」>

<チャンさんの記事のタイトルは「貧しい地域の小さなスター」>

「チャンが9歳の時、チャンの母に懲役20年が言い渡された。その裁判からの帰り道、チャンは父に尋ねた。
『20年って・・・長いんだよね、お父さん?』
『ああ、とても長い。』
こうして、母に新しい洋服を買ってもらうこともなく、花祭りにつれていってもうこともないお正月を、チャンは20回過ごさなくてはいけないことになった。
母が麻薬売買の罪で服役するようになってから、父は家をあけがちになった。バイクタクシー業で稼ぐお金は全部酒代に変わった。ある日、父が姿を消した。他の女性と暮らすらしいことを人づてに聞いた。車で刑務所に連れて行かれる母が、後ろを振り返って『チャン、勉強だけは頑張りなさいよ。』と言ったのを覚えている。父は、一言もなく行ってしまった。
10歳になり、勉強をしながら仕事を探した。自分と祖母の生活のため、そして母にもお金を渡すために。家でのチャンは優秀な主婦だ。家事も、祖母の面倒も良く見ている。朝は急いでサツマイモなどを食べ、学校には歩いて行く。

チャンは言う。『内職をし始めた時、慣れずに何個もダメにしました。恐ろしかったです。泣いていると、仕事の依頼主は同情してくれ、弁償しろとは言いませんでした。内職の仕事が忙しすぎて家で勉強する時間がとれなくなり、それを見た近所のおばさんがチェー(ベトナム風ぜんざい)のお店を手伝いなさいと言ってくれました。夕方4時から9時まで働いて10,000ドン(約50円)もらえます。テスト勉強が忙しくてお店を手伝えないようなときは、家で内職をします。サンダルのストラップにビーズを取りつける仕事で、3足で1,000ドン(約5円)。数時間作業しても6足しか仕上げられないので、学校に持ち込んで休み時間に作業したりしています。』
そんなチャンは小学校、中学校で優秀な成績を収めてきた。2008-2009年度には、ホーチミン市の優秀な生徒に選ばれ表彰された。成績の優秀さだけでなく、困難を乗り越えようとするその意志の強さに感銘を受け、様々な新聞がチャンを取り上げた。全国から応援の手紙が届いた。『チャン、絶望しないで、信念をなくさないで!』

チャンは語る。『母が電話をしてくれた時、優等生として市に表彰されたことを伝えました。母は喜んでから、おばあちゃんの調子はどうか聞きました。私は、心配しないで、近所の人たちが助けてくれるからと言いました。ただ、おばあちゃんが弱ってきていて、病気で体が痛いから座っていないといけないし、高血圧もひどくなってきていることを伝えました。それを聞いて母は黙ってしまいました。たぶん泣いていたんじゃないかと思います。話をしたいことがたくさんあるのに、電話が切れてしまいまいた。母は刑務所で一か月に3分しか電話をすることを許されてないんです。自分のしたことで家族に辛い思いをさせていると母が思って苦しんでいるのを、私は知っています。』

3つの夢があるとチャンは打ち明けた。まずは母が家に戻ってくること。次に医学部に合格すること。そしておばあちゃんの病気を治すこと!現在チャンは古びたマッチ箱のような6平方メートルの部屋で、注意深くビーズを糸に通している。暗い部屋の中でビーズはきらきらと輝いている。チャンの夢や意志の強さは、そのビーズのきらめきのように輝き続けるだろう。」

[4. まとめ:あげるべきか、否か・・・]

ベトナムでは貧しいことを尊ぶ傾向もある。代表的な例が、国の首席でありながら古タイヤから作った草履をはくなど、質素な生活を生涯貫いたホーチミンさんだ。だからベトナムの人々は、成功したお金持ちの話よりも貧しさに耐えている善良な人の話の方に共感するのだろう。アジア共通の価値観だろうか、日本でも一時期「清貧」という言葉がもてはやされたのを思い出す。
物乞いや宝くじ売りの人たちはホーチミン市の中心部にもいるので、旅行者の方たちも目にすることがあることと思う。そんな人たちに私たちはお金をあげるべきか、否か?そのお金によってその人のその日の生活が潤うだろうか?元締めの酒代になるだけ、ひいてはこのような業者を増やしてしまうことにつながるだろうか?でも、あげたお金の一部でもその人のものになるなら・・・。賛否両論あると思う。私は未だに自分の中で答えがまとまっていない。皆さまはどうお考えでしょうか。

[参照]
Tuoi Tre紙 2010年1月6日、1月7日、2009年11月26日、11月25日付
Sai Gon Tiep Thi紙2009年12月4日付

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2010-01-20

ページTOPへ▲

その他の記事を見る