ビンタイ市場へ行ったときにチョロンの街を歩きました。歩いていると古い廟に行き着きました。果たしてここはいったい?
チョロン、行こうよー♪こんにちは、ベトナムナビです。今日はベンタイン市場から1番バスに乗り、終点のチョロンへいざ!チャイナタウンといわれるチョロン。ナビは以前、チョロンにあるホーチミンで一番大きな市場であるビンタイ市場はもう見たので、今日はチョロンの街全体をゆっくり散策してみようかなと思ってやってきました。バスの切符は片道3000ドン、40分ほどで終点のバスターミナルに到着しましたよ。よし、歩くぞ~。
ベンタイン市場前からのバスは1番!
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バスの中には車掌さんがいて切符のチェック。
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ゴチャゴチャがいい!
チョロンの街は期待したとおりの喧騒と雑踏とのゴチャゴチャした街。この街はどこから歩いても、どこを歩いてもおもしろい!起点と終点がないよう。ナビはターミナルを降りてビンタイ市場周辺をちょっと歩き、それからひたすら東に向かって歩きます。歩いていく途中でいろんなものに遭遇し、おもしろいものも発見しつつ、最後は廟に到達!
日本人には有名なプラひもバッグやさん「Chi Tu」。
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日用雑貨屋さん、何でも山積みになってるのが、購買欲をそそってくれます。
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サイズが小さめでかわいいベトナムのトイレットペーパー、おみやげにする人も多いんですよ。
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ビンタイ市場のいくつかある入り口のひとつ。
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入口ではシクロが並んでアナタを待ってます。
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カゴなんですねえ、何かなあと一瞬考えました。
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バインミーのパン売ってます、いかが?
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豆類、穀物類の店のよう。
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いろんな屋台が道沿いにいっぱいで飽きないです。
こんなにおいしいシントー!
この日はいいお天気で、ナビも日焼け止めはバッチリ塗って歩きます、しかし、ふと腕を見るとやっぱり少し日焼けしてるみたい、それに日差しが強いと喉がすぐ渇いてきます。いろんな屋台に挑戦してきて、ここでも喉を潤してくれるものはないかとキョロキョロしていたナビ、あった~、シントーの屋台!プリンもおいしそうだけど、とりあえずなんか飲みましょう。あら、1種類しかないみたいで、なんのシントーかよくわからないけど、ええい、チャレンジ!お兄さんニコニコして、さっそく入れてくれました。
おいしそうなシントーの屋台、見つけました。
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ひとつ注文してみます。
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氷がサクサクしています。
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練乳も入れてくれて、マゼマゼ。
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うまああーいい?なに!?あとでハスの実シントーというのがわかりました。でも、おいしすぎ!これを飲むためにまたチョロンへ来たい!
絶対新鮮!すぐ!フレッシュなのが飲めます。
バイクでこうやって運んじゃうんです。
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ここにも街頭で自転車修理やさんがいました。
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路上でくつろぎ食べる男たち、座っていかない?って、このフレンドリーさがなんともいえない。
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たばこやさんの屋台。
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レンブという果物なんだけど、色が白っていうのが珍しい。
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DVDの店がありました。
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日本のアニメがここでも。
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台湾のJAYがいました。
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新聞売りは路上ではよく見かけます。
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ちまき売りは珍しい、四角い形のは南部ちまきの代表なんですよ。
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ホーチミンはどこに行っても交通渋滞。
廟がありました!
「東源鶏飯」でお昼を済ませ、グエンチャイ通りをさらに東へ向かって歩いていると、中華のお寺のようなものが見えました。入ろうかどうしようかとま向かいの通りから見ていると、大きな観光バスが正面に停まり、華僑と思しき観光客たちがぞろぞろ降りて、中へ入っていくではないですか。有名なのかな?と、ナビも入ってみることに。間近で来ると中華様式が美しく、かなり歴史ある廟だというのが正門をくぐってからわかります。左には石碑があって、漢字で「天后宮」と書かれたのを見つけました。
「天后宮」という海の神様(媽祖)を奉る廟。
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遠目にはよくわかりませんでした。
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天后宮とは?
海の神様マーズゥー(媽祖)を祭る廟のこと。世界中の華僑がいる国、地域には必ずといっていいほど媽祖を祭る「天后宮」があります。特に海を渡ってきた華僑には媽祖は大切な神様。神様というと実態のつかめない人物?だったりしますが、媽祖はその点一般?の神様と違い、神様になる前はれっきとした人間でした。媽祖の本名は林黙といい、記録によると生まれは北宋の太祖建隆元年(西暦960年)3月23日、亡くなったのは北宋の雍煕四年(西暦987年)9月9日。享年28歳。媽祖の父は林愿(リンユェン)、福建の都の巡査をし、母親の名前は王氏。媽祖が生まれる前、夫婦には既に一男五女、計六人の子供がいましたが、たった一人の男の子が病弱だったため、両親は跡取りとしてもう一人男の子をほしがり、女の子(媽祖)が誕生!最初は少し落胆したそうなんですが、1ヶ月になるまで泣くことが無く黙ったままだったり(そのため名前が「黙」になったそう)、幼い頃からとても賢く8歳になると文章は何でもスラスラと読み、他の人に意味を解くことを教えて諭し、9歳には金鋼経・可蘭経・唐玄奘・遺経典の全てを知り、10歳には仏に対する礼儀を暗唱することが出来ました。また暇があれば母の布織りを手伝うなど天性の親孝行娘だったそう。16歳でのぞいた井戸からお札を見つけてからいつでも神と通じ合うことが出来るようになり、28歳の9月9日(重陽の日)、峰の山頂まで登り、皆の道になるため明るい内に昇天した、といわれます。一番古い媽祖の廟は987年に建設され、中国のびしゅう島(媽祖の出身地)にあり。一番大きい媽祖廟は泉州(1196年)、台湾では1725年鹿港に作られたのが最古。現在世界中で1500箇所に媽祖を奉る「天后宮」があり、2億人の信者がいる、といわれています。
廟の中心に圧倒されます。
寄付した人たちの名前が書かれていました、たぶんベトナムからシンガポール、マレーシア、香港、台湾、カナダ、アメリカと世界中に渡った華僑たちなのでしょう。
廟の中は常に線香がたかれています。フランス人の観光客もたくさんきていました。
「天后宮」にて
廟の中を一通り歩きます。観光客も多かったですが、地元の人たちもたくさんいます。熱心に祈る人の姿を見てナビも海を渡ってここに来たからにはとお線香を購入。線香を持って入口の方へ戻り、拝んでは線香を立ててを繰り返しながら、奥のほうへと進んでいきます。「ベトナムナビの成功を祈ります!」
「天后宮」前にいた屋台Banh Heって書いてあります。いろんな種類があったけど、野菜と肉の味、エビ味を買って食べたら、これがまたおいしい(^_^)、これを食べるためにも、またチョロンへ行きたい!
「天后宮」近くにも中華のお寺がありました。
以上、チョロンからベトナムナビがおとどけしました。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2008-04-08