「ベトナムのニュースから」第5回:喫煙天国の行方

[映画のワンシーンから始まったタバコ物議]

ベトナムでも視聴可能なケーブルテレビ局、HBOチャンネルで、映画“イン・ブルージュ(In Bruges)(※1)”が放映された。その映画を見たベトナム人のキムトァ(Kim Thoa)さんのブログが地元紙に取り上げられたことから、タバコ物議が始まった。

「そのシーンを見て、私は驚きました。レストランで一人の女性客がタバコを吸っていて、その煙が他のお客さんの顔に直接吹きかかります。すると客の一人が『まったく信じられん。彼女のタバコの吸い方は、まるでベトナム人だ!』と言ったのです。HBO側が配慮してつけられたベトナム語の字幕は『まるでアジア人だ!』となっていましたが、しかし元の音声を聞けば“・・・like Vietnamese(まるでベトナム人だ)”と言っているのは明らかです。」

キムトァさんはさらにこう続けた。「自分たちベトナム人のことをこんな風に言うなんて・・・と、最初はいやな気分になりました。でも、冷静に考えてみると、正しい一面もあるように思います。ここベトナムで周囲の人の迷惑をかえりみずにタバコを吸う人(主に男性)がどれだけ多いことか。良い身なりをした50代の男性が、空港内で堂々とタバコを吸っていたのを見たことがあります。『喫煙コーナーがあちらにございますので』と言う係員を無視して平然と吸い続け、ついに係員が大きな声で注意し大勢の人の視線が集まったところでしぶしぶタバコを捨てました。結婚式の会場でも、子供や妊婦さんが同席している同じテーブルでタバコをふかしている人がいる光景が当たり前のようになっています。」

その新聞記事(Tuoi Tre紙2009年5月6日付)は、エレベーターの室内でタバコを吸っている男性のモザイク入り写真とともに紹介された。

<路上の愛煙家(写真と本文は関係ありません)>

<路上の愛煙家(写真と本文は関係ありません)>

[問題のシーンを確認すると・・・]


映画“イン・ブルージュ”のDVDを早速購入し、該当シーンを確認してみた。すると、実際の内容はキムトァさんの説明とやや異なっていた。

<映画“イン・ブルージュ”>

<映画“イン・ブルージュ”>

タバコの煙について二人の白人男性が言い争うシーン。一方は、濃い煙を迷惑がっている男性客(以下、「客」)。もう一方は、タバコをふかしている女性の連れの男性(コリン・ファレル、以下「コ」)。

客:「まったく信じられん。」
コ:「何が信じられないって言うんだ?」
客:「彼女のタバコの吸い方だ。こっちに直接煙を吹きかけてるだろう。」
コ:「喫煙席じゃないか。」
客:「そういう問題じゃない。煙がまともに顔に吹きかかるんだぞ。君たちの無礼な行為のために死にたくないね。」
コ:「それは昔ベトナム人がよく言ってたことだな。」
客:「・・・ベトナム人?何の話だ?ベトナム人って。意味がわからない。」
コ:「あぁ、ベトナム人さ!」(キレ気味に)
客:「何度も何度もベトナム人と言うが、ますます訳がわからん。ベトナム人と、私の顔にまともに煙が吹きかけられることと、何がどう関係あるっていうんだ?!」

<パークハイアットサイゴンで手に入るキューバの葉巻COHIBA>

<パークハイアットサイゴンで手に入るキューバの葉巻COHIBA>

つまり、このシーンはベトナム人の喫煙の仕方を直接批判している内容ではないのだ。精神状態が不安定な役どころであるコリン・ファレルの、ナンセンスな側面を強調するために唐突に「ベトナム人」というキーワードを言わせている、そんな風に感じた。

しかし、周囲の迷惑をかえりみずタバコの煙をレストラン内に充満させる人物の出てくるシーンで、何度も「ベトナム人」という単語が出てくる。それは、キムトァさんがベトナム人の喫煙の仕方について振り返り、その後世論を騒がせるには、十分だったようだ。

[反響は主に被害者から]



 キムトァさんの記事が紙面に掲載された翌日から、読者の反響が掲載された。ほとんどがタバコの被害にあっている人たちからの投稿だ。

<反響記事>

<反響記事>

○ケース1:近所で

私の家は、わりと広めの路地に面しています。その路地を近所の人が占領して路上カフェを始めてしまいました。それからもう10年以上も私たち家族はタバコの煙と共存しなければならない状況です。毎朝、窓を開ければ騒音とともにタバコの煙が家に入ってきます。お店の人と何度も話しましたがダメでした。唯一の対策は、一日中窓を閉め切って耐えることです。家族全員が気管支炎にかかり、私と子供はさらに喘息になってしまいました。

<パッケージには「肺がんを引き起こす可能性があります」という表示>

<パッケージには「肺がんを引き起こす可能性があります」という表示>

○ケース2:渋滞している道で

親戚の子供たちを学校に送る道でのことです。道は渋滞していて、なかなか抜け出せませんでした。私も子供たちも心身ともにぐったりしていた時、目の前にいた若者二人がタバコを吸いだしたんです!タバコの煙が私や周辺の人たちの間に漂ってきて、息ができないぐらいでした。子供たちは咳こんでいます。私が注意すると、若者二人はにらみ返してきました。彼らの良識を疑いましたし、どうして他の人は誰も注意しないのだろうと思いました。

○ケース3:病院ですら

妊婦である妻の付き添いで、ある大きな病院に行った時のことです。診察の順番が来るまで、病院の敷地内の庭のベンチで待つことにしました。ベンチに座って間もなく、近くに座っていた男性のタバコの煙を「味わう」ことに。すぐ他の場所に移動しましたが、それでもタバコの煙から逃れられませんでした。というのも、そこでタバコを吸っていたのは一人ではなかったからです(そこには喫煙禁止の看板が立っています)。妻や、病院に来ている妊婦さんたちが不憫でなりませんでした。妊婦となればただでさえ体が辛いのに、タバコの煙まで吸わなくてはいけないなんて、我慢できるわけないでしょう!

[こんな体験談も]

<タバコの害についての雑誌記事>

<タバコの害についての雑誌記事>



以上のような怒りの投稿が数日続いた後、少し内容の変わった記事(2009年5月10日付)が載り、心に残った。喫煙依存症の人の体験談だ。

<路上の水タバコ愛煙家:1>

<路上の水タバコ愛煙家:1>

「私の指は、黄色かった。タバコを吸うことは習慣であり、楽しみだった。仕事で緊張状態が続いた時、うれしい時、悲しい時、怒っている時、幸せな時、孤独な時・・・。タバコは自分にとってなくてはならない友達だった。タバコを吸う人は100%同意してくれると思うが、食後のお茶を飲みながらの一服、これはなんとも言えぬうまさだ。

1980年、私はリュックの1/3をタバコで埋めて、上京した。大学では真面目に勉強した。成績が良かったのは、いつもリュックの中にあったタバコのおかげもあると思う。しかし4ヶ月後、持参した分はなくなり、外でタバコを買うようになった。

ある日いつものようにリュックを探ると、タバコが一本もなかった。そんな時、私は夜だろうが雨だろうが、どんな遠くにでも自転車を走らせる。でもその日、自転車はパンクしていた。その時代、自転車は貴重な財産だったから、夜中に誰かに借りるのは難しかった。家に戻ると、大学の仲間が集まってタバコ片手に本を読んだりお茶を飲んだりしている。タバコの香りがしてきてたまらなくなった。いつも私にタバコをねだり、貸してやっている友人も、タバコをふかしている。私はそいつに言った。
『お願いだ、タバコ貸してくれ。』
奴はこっちをチラリとも見ずに言った。
『タバコ?もうないよ。』

怒りがわきあがり、同時に、自分を恥かしく思った。タバコ無しでは暮らせないなんて・・・。その日から私はタバコをやめようと決心した。自分が喫煙という習慣の奴隷になっていることに気付いたからだ。」

[煙が目にしみてきている]

<路上の水タバコ愛煙家:2>

<路上の水タバコ愛煙家:2>

喫煙天国というイメージのあるベトナム。排気ガスがもうもうと漂う道路わきでも食事をしている光景を見て、人々はあまり空気の状態に関心がないのではと思っていた。しかし健康被害が明らかになるにつれ排気ガスの問題も取り上げられるようになり、喫煙者に対する世論も厳しくなってきている。私の通う大学の構内も、昨年全面禁煙になった。しかし分煙の設備が整ってないため、休み時間のたびに大学の構内から出てはタバコを吸っている教授たちもいるようだ。中年の世代の人に聞けば、昔に比べると最近の若者はタバコを吸わなくなってきているという。健康に悪いという認識が広がったためか、はたまた気晴らしの種類が増えたからか。

<大学構内のNo Smokingの表示>

<大学構内のNo Smokingの表示>

ちなみに、ベトナムでは女性の喫煙はまだまだ後ろ指をさされる事柄に位置づけられている。タバコを吸う女性はディスコのような場所にしか存在せず、そういう人はまず普通の職業についているとは思われないとのことだ。女性がタバコを吸う姿にショックを受ける人もいるということを、愛煙家の女性の方は少し頭の片隅に置いて旅行してほしい。

<大学の掲示板にも>

<大学の掲示板にも>

(注1)2008年Martin McDonagh監督作品。ベルギーのブルージュを舞台にしたブラックコメディー。

[参照]
Tuoi Tre 紙 2009年5月6日、5月7日、5月8日、5月10日、5月11日
雑誌“Marketing Vietnam” No.55 2009年6月号

その他情報

レポーター: コズー(ニュース編)  年齢: 魅惑の30代 出身地: 東京 滞在歴: 2006年4月より 趣味: 活字を読むこと コメント: 興味の尽きないベトナムにニュースを通して迫ります シリーズ名: コズーの「ベトナムのニュースから」 

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2009-06-12

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