開高健さんが泊まった部屋に宿泊しました!

in Majestic Hotel 103室に泊まりました!


こんにちは、ベトナムナビです。今宵はナビ、開高健さんが泊まった部屋に泊まってしまいました。すごい開高健ファン、というわけではないのですが、たまたまマジェスティックホテルに泊まり、ホテルを案内をしていただいたとき、ここ103号室は日本のFamous Writerが泊まったお部屋です、と紹介されたのがきっかけ!

運がよかった!

開高健の名前は知っていたけれど、作品は一度も読んだことがないナビ。でも日本のFamous Writerが泊まった部屋と聞き、是非ここに一晩泊まったみたい!そしてちょうど空いていました、103号室が。ベトナムのホテルっていつも満室というイメージがあるけれど、ナビが泊まったのは旧正月「テト」の直前。たまたま時期がよかったよう。いつもはご指名でこの部屋に泊まる日本人やヨーロッパ人もいるんだとか。
開高健が1964年から1865年にかけ、朝日新聞社の臨時特派員として約100日間宿泊した103号室。
昔のホーチミンの情景。 昔のホーチミンの情景。

昔のホーチミンの情景。

開高健さんがこの部屋に泊まっていましたとの説明がドアの横にあります。

開高健さんがこの部屋に泊まっていましたとの説明がドアの横にあります。

ここ、です

ここ、です

なぜ、この部屋に?

1925年に創業したマジェスティックホテル。コロニアル風の造りで、ベトナム戦争中は多くのジャーナリストがこちらのホテルに泊まりました。ホテル内にはかつて宿泊したことのある秋篠宮殿下、女優のカトリーヌ・ドヌーブをはじめ、多くの有名人の写真も飾られています。当時、開高健が朝日新聞社へ送っていた内容をまとめた本「ベトナム戦記」の中にはホテルのこと、階上のスカイバーのこと、部屋の写真もでてきます。この本を読んだら、自分も開高健が泊まってた103号室に泊まってみたい!そう思って部屋をリクエストした日本人客が多かったのかも・・・
1925年のマジェスティックホテル

1925年のマジェスティックホテル

1980年の新築されたホテル

1980年の新築されたホテル

1940年の様子

1940年の様子

屋上スカイバーにも飾られていました。

屋上スカイバーにも飾られていました。

今のホテル内 今のホテル内 今のホテル内

今のホテル内

屋上からのサイゴン川。

屋上からのサイゴン川。

フランス大女優カトリーヌ・ドヌーブ、美しい!

フランス大女優カトリーヌ・ドヌーブ、美しい!


ついでに歴史も勉強しよう!

ホーチミンの戦争証跡博物館では吐きたくもなったし、枯葉剤が撒かれた村の子供の写真を見て目頭が熱くなりました。当時ベトナムへ赴き亡くなった日本人カメラマンたちの写真、持っていたカメラの真ん中を打ち抜かれていた写真、若くして命を落とした各国報道陣の写真を前に、すぐにその場を去りたい、でも去れない・・・カメラマンたちは若くして、なぜ命の危険を冒してまで戦場に向かったのか、名声や野心、理想や信念、正義感や好奇心、人それぞれいろいろ思惑はあっただろうけど、命は一回で終わり。カメラマンたちは皆良い顔しています。ただ無念。
本の表紙の画像

本の表紙の画像


当時のこと・・・

開高健は100日間の滞在の間に南ベトナム政府軍の先頭部隊に加わり、ベトコンとの戦争に参加。総勢200人のうち帰還したのはたった17名だけだったとか。開高健とずっと行動を共にしていたカメラマンの秋元啓一もその17名の中にいました。決死の銃撃戦があった1965年2月14日の情景は本の中にも生々しく描かれています。その数日前、ベトコン少年の処刑が(現在のベンタイン市場前の広場で)あり、そして2月14日がクライマックス。朝早く出発し、枯葉に埋もれたりしながら突き進んでいく。すぐ横には動かなくなった無残な死体をおきざりにし、パンッという渇いた音とともに人が急に倒れ、遺書を書きながら、もう日本へは帰れないと思った彼の心境が手に取るように伝わってきます。ベトナムといえば今の20代にはグルメと雑貨の国なのかもしれないけれど、40代以上には自分が生きていた時代に現在進行形だった、長くて悲惨な戦争でした。
日本語パンフレット

日本語パンフレット


ベトナムに一歩踏み込むには・・・

ベトナムに向かう飛行機が着陸体勢に入ると、眼下に広がるのが蛇行する巨大なメコン・デルタ。開高健は本の中で「この国の土と水そのものはすばらしく多産で受胎力にみちている」とメコン・デルタを讃え、豊穣さと人々の恐しく貧しい生活の対照が異様であると書いてます。ホーチミンの街灯は大都市なのに他の国の都市に比べて少なく、電力も多く使われるとバチンという音とともにいっせいに停電が起こります。交通も信号のない道路を車もバイクもお互いが譲り合いながら進む状況。でもゲストハウスでもシャワーの出は最高。これは豊かな水がもたらす恩恵なのかも。本の中でも南部(ホーチミンあたり)の人たちはお人よしで怠け者、情熱的で衝動的、素直、軽薄、心に思ったことをすぐ口に出す、親切でおおまか、おだてに乗りやすく、気前がいい、そして戦士としては北部や中部に比べると、いくら訓練しても統率が取れない最低戦士軍だと書かれてます。ベトナムへ行く際は観光ガイドブックだけじゃなく、「ベトナム戦記」のようなタフな本もちょっと読んでから行くと、ベトナムのまた違った一面が発見でき、理解も深まるかも。またグルメとショッピング、スパに飽きたら、戦争証跡博物館にも是非足を運んでみてください。
本の中(P.270)の103号室

本の中(P.270)の103号室


当時と現在の部屋の違いは?

「103室」はCOLONIAL Saigon River Deluxe、2008年2月現在のラックレートで309ドル。シングルダブルベッドがでーんと中央に居座り、入口横にはソファとテーブルがあり、壁には開高健の写真が、右には書卓とテレビが、サイゴン川に向かう窓際にはリクライニングチェアがあります。ここで開高健も本を読んだりしたのかなあ、この机で朝日新聞社への記事を書き綴ったのかも?でも「ベトナム戦記」を読んでみると、当時は秋元キャパと同室だからツインベッド。枕はサイゴン川の方に向いています。ベッドの足元にウイスキーなどが数瓶のっかった小さいガラステーブルとテーブルの向き合いシングルソファが2つ。床の模様も今と違ってかなりコロニアルムード。あれ、ぜんぜん違う・・・同じところは部屋がスイート仕様だから、右奥の別部屋がトイレとバスルームであること。これだけでも良し?
今の部屋の状況

部屋自体は一人で泊まるにはもてあますほど広く、文章のインスピレーションが来たわけでもなく、結局部屋でだらだらと過ごしてしまったナビ。ただ開高健やベトナム戦争について知らなかったことに触れられた、良いチャンスでした。戦争での凄烈な体験が書かれた開高健の3部作(『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』)はまたあらためて読みたいと思います。ベトナムナビでした。
蘭の花とベトナムのお正月を紹介したレター。

蘭の花とベトナムのお正月を紹介したレター。

ウエルカムフルーツも!

ウエルカムフルーツも!

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2008-04-08

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